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純レーサーRVF750と市販車RC30の関係とは!

思い起こせば相当長い間、忙しさ(?)にかまけてブログ更新をサボってましたが、書いてみたい内容がありましたので、久しぶりにブログ更新させて頂きます(^^;

キッカケは昨日、ふと目に留まったこちらのWeb記事なのですが、実は管理人も少しだけこのマシンRVF750開発のお手伝いをしたことがありますので、昔話を思い出しながら書いてみたいと思います。

[’87-]ホンダ VFR750R:すべてに妥協のない”RC30″【青春名車オールスターズ】

WEBヤングマシン によるストーリー • 土曜日

’80年代――あの頃のバイク文化は、レースの文脈と切っても切り離せないものだった。本記事では、当時のライダーを熱狂させたレーサーレプリカモデルから、ホンダのRC30、もといVFR750Rを紹介する。※本記事はヤングマシン特別号 青春単車大図鑑からの転載です。

●文:ヤングマシン編集部

レーサー以外の何物でもない!〈ホンダ VFR750R〉

ビッグバイクで空冷直4が全盛だった’82年。ホンダが新時代の到来を告げる、水冷V型4気筒のVF750Fをリリースした。やがてVFは、ワークス耐久レーサーであるRVF750Rのベースとなり、世界中で猛威を奮う。’85~’86年はワイン・ガードナーらが8耐を連覇。スーパーバイクの前身であるTT-F1世界選手権や、世界耐久でもタイトルを手にする。

「V4こそ4スト最強」の世評が高まり、レースブームも最高潮に達した’87年。RVFのロードゴーイングバージョンであるRC30が姿を現す。RVFを忠実に再現することを目標とし、「ストック状態のRC30を駆るプライベーターが、ワークス勢の戦いに割って入れる」性能を追求。プライスは当時の量産車最高値148万円ながら、国内限定1000台が瞬く間に完売となる。

それも当然だった。市販車初のチタンコンロッドを用いた新設計V4エンジンをはじめ、クロモリ鋼カムシャフト、アルミタンク、FRP外装など、148万円が割安に思えるほどコストを度外視した造り込みだったからである。しかも免許制度の関係で400㏄超マシンのステイタスは圧倒的だった。

最終的に全世界で約4900台を販売するに至る。RC30の登場後、8耐出場マシンにおけるホンダのシェア率は20から50%にまでアップ。’87年から始まったスーパーバイク世界選手権では初代チャンピオンに輝き、全日本でも勝ち続けた。そして’88年型からRVFはRC30のエンジンベースで開発され、’89/’91/’92年の8耐を制覇。RC30はまさに究極の市販車である。

【’87 HONDA VFR750R】■水冷4ストV型4気筒DOHC4バルブ 748cc 77ps/9500rpm 7.1kg-m/7000rpm ■180kg ■タイヤサイズF=120/70-17R=170/60R18 ●当時価格:148万円
© WEBヤングマシン

【凄みさえ感じさせる機能美】異形目の字断面フレームに、RVFと同じ砂型鋳造のプロアームを採用。組み立ては職人が手作業で行い、1日10台の生産が限度だった。

【レースキットを組んでも印象は不変】公道市販車をベースに争うレースで勝つために開発。HRCから多数のレースキットがリリースされ、装着しても全く違和感がない。

-------中略-------

カタログでは「RC30」の呼称を強調。「HRCレーサー、RVF750と同じクオリティを求めたもの」とある。

【’87鈴鹿8耐|#4 Wayne Gardner】RVFは8耐を通算5回制覇。RC30ベースとなった’88年以降は3回優勝している。中でもガードナーとの最強コンビに観客は熱狂した。

-------後略-------
出典:[’87-]ホンダ VFR750R msn.com(https://www.msn.com)

RC30を語る上で外せないのは、ファクトリーマシンである'86-87モデルのRVF750です。

一つ目の写真右側ゼッケン72番のRVF750は'87モデルの徳野政樹選手のマシンですね。

この記事の主役であるRC30(VFR750R)は、このRVF750をベースに市販化したモデルであることは皆さん良くご存じだと思います。

前年モデルの'86RVF750からベース車両がVFR750F(RC24)になって、その年の鈴鹿8耐ではW.ガードナー/D.サロン組が1回もトップを譲ることなく、ポールトゥウィンを達成したマシンでもあります。

この'87モデルはその熟成型となりますね。

残念ながら、87年鈴鹿8耐ではD.サロンの転倒によりリタイアとなってしまいましたが、速さでは頭一つ抜けていたと思います。

余談ですが、上の記事の最後の写真ゼッケン4番は【’87鈴鹿8耐|#4 Wayne Gardner】となっていますが、正確には'86鈴鹿8耐W.ガードナー/D.サロン組ですね。

因みに'87鈴鹿8耐のW.ガードナー/D.サロン組はゼッケン1番となります。

でもって、'86鈴鹿8耐で1台だけ投入されたこのRC24ベースのRVF750ですが、当初は’87シーズン用のマシンだったと記憶してます。

なので、'86鈴鹿8耐にはこのRC24ベースのRVF750(NW1C)が、W.ガードナー/D.サロン組に託され、それ以外のホンダワークス勢はRC15ベースのRVF750(NW1B)での8耐参戦となっていました。

明けた'87鈴鹿8耐には全車RVF750(NW1C)となり、予選から圧倒的な速さをみせたものの、全車転倒リタイアという結果でレースを終えます。

ただこのRVF750(NW1C)の与えた影響は大きく、RVF750レプリカRC30と呼ばれる量産車VFR750Rの開発に繋がる訳ですね。

量産でチタンコンロッドを採用し、シリンダーヘッドも更なる小型化を目指して直押し型DOHCを採用するなど、車体側の仕様も含めて148万円という高価ではあったものの開発コストを考えるとかなりのバーゲンプライスだったんじゃないかなぁ~。

車体ディメンションもほぼRVF750(NW1C)を踏襲したと聞き及んでいますし、「RC30の登場後、8耐出場マシンにおけるホンダのシェア率は20から50%にまでアップ」は頷けますね。

そしてこのRC30ベースのRVF750(NW1D)が'88シーズンにデビューするんですが、シーズン当初はシリンダーヘッドのバルブ周りのトラブルで苦労したと聞き及んでいます。

ただ更に小型化されたエンジンのお陰もあり、この後の開発モデルでは更にGP500ccマシンに近い重量配分も可能になり、出力向上と軽量化も相まって最強マシンへと変貌を遂げて行くことになります。

そんなRC30ベースのRVF750の最強マシンはと聞かれたら、TT-F1レギュレーション最後の’93モデルNW1Pでしょうかね。

出力は、'88モデルNW1Cの132.5ps/12500rpmに対して、’93NW1Pは159.2ps/14000rpmと27馬力ほどの向上。

車体重量も'88モデルNW1Cの152.6kgに対して、’93NW1Hは140.5kg(何れも8耐仕様)と10kg以上の軽量化を達成。

何より前後重量配分のフロント分担率が53.0→54.6%と大幅に増加しています。
数値は何れも雑誌RACERS Vol.61/Vol.63より引用

ホイールベースがほとんど変化なくて、フロント分担荷重が大幅に増やせているって事は、それだけフロント側に一番重いエンジンを近づけてられているって事なので、よりコンパクトなGP500ccクラスに近い運動性能も持ち合わせていたと想像出来ます。

なのでGP500ccクラスのライダーも2ストと4ストの違いはあれど、それほど苦労せずに乗りこなせたんじゃないかと思います。

この後の'94モデルRVF/RC45はスーパーバイクレギュレーションへ変更されたため、車体重量も160kgを超えていますので、事実上最強のTT-F1マシンだったと言えますね。

と言いながら、かなりの長文となったので思い出話もこの辺りで終わりにしますが、管理人にとっては思い出深いレーシングマシンたちあることには違いないですね。

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