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全日本モトクロス第6戦 東福寺保雄記念大会レース観戦と80年代のよもやま話です!

先日行われた「全日本モトクロス第6戦 21Group カップ 東福寺保雄記念大会」を観に行ってきました。


出典:D.I.D JMX 2025 Rd6公式ポスター

まえがき

管理人がモトクロスのレースを観るなんて十数年ぶりかも知れませんが、理由の一つが今年6月に他界した東福寺保雄選手を追悼する記念大会であったことです。

管理人も1980年代に少しですが、東福寺保雄選手と関わりがあり、そんな繋がりもあって久しぶりにレース観戦したいと考えました。

レース当日は小雨も降る肌寒い天候になりましたが、そんな天候をも吹き飛ばすくらいの素晴らしいレースが展開されました。

管理人は久しぶりに観るモトクロスレースに年甲斐もなく、興奮しましたね。

そんな今回のレースの話は他のSNSで観て頂くとして、東福寺保雄選手と80年代モトクロスについて書いてみたいと思います。

東福寺保雄選手とは!


MOTOINFO(https://motoinfo.jama.or.jp)より引用

東福寺保雄選手は言わずと知れた全日本MX国際A級クラスに於いて、前人未到の9回ものチャンピオン獲得を達成した偉大なレジェンドライダーです。

モトクロスライダーとして恵まれた体格を生かしたダイナミックな走りに魅了された方も多いと思います。


MOTOINFO(https://motoinfo.jama.or.jp)より引用

1976年に国際A級へ昇格し、1981年にHondaへ移籍。1992年に現役引退後、「T.E.SPORT」監督として後進の育成に努めた。2023年12月、文部科学大臣より「スポーツ功労者」を顕彰。

その実力と気さくな人柄からたくさんのライダーから慕われ、多くの後輩ライダーに影響を与えたレジェンドだったと思いますね。

管理人から見た東福寺保雄選手とは!

管理人は1981年にHondaへ移籍後からの関わりでしたが、東福寺選手に強烈な印象を持ったのは、まだ彼がYAMAHAに在籍した1980年全日本MX第1戦谷田部大会でしたね。

マッドコンディションで他のライダーたちが苦戦する中、圧倒的な速さでストレートを駆け抜ける東福寺というライダーに圧倒されました。

まだプライベーターのメカニックとして参加したレースで強烈な印象を受けたその東福寺保雄選手が翌年Hondaへ移籍し、その後に管理人が関わりを持つなんてその時点では想像もしていなかったです。


雑誌RACERS Vol.59 もうひとつのNR P58より引用

写真は1984年RC125Mロータリーバルブエンジン搭載の東福寺車

こちらのエンジン解説は後述する2気筒エンジンのリンクからどうぞ!

管理人からみた東福寺保雄選手とは!

レースに対する考え方が一言でいうとプロフェッショナルでしたね。
マシンに対する要求は高く、自分が納得いくまでレース前といえどセッティングに妥協しない。

ただセッティングが出し切れていなくてもレースになると、ここからはライダーの仕事と言わんばかりにレースに負けてもマシンのせいにしない。

マシンに求める要求は一貫していて、求めている性能が明確でした。

レースでは要求が厳しいが、マシンを降りると気さくで冗談も言えて、話しやすい人柄でした。ただ、話がレースやマシンの性能部分になると手厳しかったと思います。

Hondaのモトクロスが一番輝いていた時代とは!

そんな訳で、1981年から東福寺保雄選手と関わりを持つことになる訳ですが、この年代である1980年から1984年頃までがモトクロスとして一番輝いていた時代だと思います。


雑誌RACERS Vol.59 もうひとつのNR P45より引用

写真はRC125M並列2気筒エンジン+ダブルプロリンク車

通称カマキリと呼ばれたフロントダブルプロリンク装着車である。このダブルプロリンクは翌年1981年北海道大会にて東福寺選手が乗って、優勝したモノと基本的には同じ仕様ですね。ダブルプロリンク解説の過去記事はこちら

80年代モトクロス特集『RACERS Vol.59もう一つのNR』買いました! - kazy's susmania

合わせてモトクロッサーとしては初の2気筒モデルも平行開発していました。

ハード路面のストレートは、めっぽう速かったと記憶してます。

この辺りを解説した過去記事はこちら

80年代モトクロス特集『RACERS Vol.59もう一つのNR』エンジン編です! - kazy's susmania

モトクロスライダーがスポーツ選手並みの契約金を貰えた時代でもあるし、国内4メーカーが技術革新にしのぎを削った時期でもあります。

管理人は1980年全日本MX第1戦谷田部大会で観たHondaワークスマシンのカッコ良さに魅了されたのを昨日のことのように覚えています。

水冷エンジンであることを主張するタンク前のラジエーター&ルーバーとプロリンクと称するリヤサス1本でスイングアームに直接ダンパーが付かないRC125M&250Mと言う名のワークスモトクロッサー。

比べて、当時管理人が関わっていたチームの市販モトクロッサーは、勿論空冷エンジンで、バナナフォークと呼ばれるくの字に曲がったスイングアームに2本のダンパーが直接装着されたモトクロッサーです。

いゃいゃ、このバナナフォーク自体もリアサスストロークを稼ぐために、くの字に曲げられたアルミ製のスペシャル品だったんですが、プロリンクの前ではかすんで見えてしまう。

それほどインパクトがあったRC125M&250Mと言う名のワークスマシンでしたね。

それから当時のHondaワークスメカニックたちの勝つために我々は何をすべきかと問う姿も素晴らしかったと思います。

当時のエピソードが記事としてWebに上がってましたので紹介して置きます。

The Origin2 土の上のダヴィンチ 80年代モトクロスの進化

-------中略-------


The Origin2(https://www.oval-net.jp/iom1960/the-origin-2)より引用

これ以外にもHondaの80年代モトクロスを詳しく紹介されていますので、宜しければこちらからどうぞ

第8章 80年代モトクロスの進化

どうでしょうか?メカニックとしてとりあえずやれることは何でもやろうって感じが伝わったんじゃないでしょうか?

当時のメカニックたちはライダーに与える心理的影響なんてあまり深く考えてなかったと想像しますが、勝つために少しでも努力しようと行動していたんだと思います。

そんなよもやま話も管理人にとっては貴重な思い出の一つなんですね。

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